夢ほど不思議なものはないと、思いませんか?
夏目漱石著の夢十夜。
三島由紀夫著、豊饒の海(春の雪)で主人公が毎夜の夢を記す夢日記。
フロイトやユングも、夢を一つの大きなテーマとして扱っています。
"愛を以て接すること" は、言葉がそのまま夢の中に現れたのでした。
前後のストーリーは全くなく、横並びにこの文章が並んで頭の上に。
今まで経験したことがなかった夢だったので、
驚くと同時にとても不思議に感じました。
その時はまだ言葉の意味することもよくわからず、
愛って一体なんだろう?くらいに思っていました。
ただ、やはり夢というのは無意識からの導きであって、
現在のこの状況になって初めて意味がわかるのでした。
夢占いや夢分析。
もちろんこの両者は似ているようで全く違うものですが、
どちらも無意識にコミットするのは同じなようです。
心理の世界に飛び込み、学友の勧めもあって日本ユング心理学会の年次学会に参加した際、ある方が夢に関してこう仰っていました。
『コミットしない夢はただの夢だ』
まるでコーヒーか何かのCMのようですが、
私はこの言葉を聞いた時から夢の虜になってしまったのです。
果たして夢とはどんな作用をもたらすのか。
それは脳科学の分野にお任せするとして、夢にはいくつかの機能があるようです。
河合隼雄著『ユング心理学入門』によると、
結局、夢はそのときの意識の状態と、それに対する無意識の状態との相互作用によって生じるとあります。
夢の機能として大きく分類すると次のようになります。
①単純な補償
②展望的な夢
③逆補償
④無意識の心的過程の描写
⑤予知夢
ただ私は、夢がこの5種類だけに分類されるとは到底思えないのです。
既視感と呼ばれるデジャビュ現象や、虫の知らせなんていうものも、実際存在しているわけですから。
さて、"愛を以て接すること" に戻りますが、愛という観念は人それぞれです。
愛について語ろうと思っても、肯定もされませんし否定もされません。
他者が持っている愛に応えられることもあればそうでないこともある。
道なき愛に溺れる人も、愛そのものを知らない人もたくさんいる。
愛を受けてこなかった子どもは愛の意味を知らずに育つ。
人が十人十色なら愛の形だって十人十色。
いや、もっと多いかもしれない。
では 愛を以て接する とはいったいどういうことなのか。
それは【心の中に愛を持っている】ということなのだと思います。
どんな感情も、愛から生まれるもの。
怒りや悲しみ、楽しみや喜びだって、愛があればこそ。
感情のあるところに愛あり。
今や死語となっている『愛のムチ』だって、愛を以て接することのひとつかもしれません。
愛を持つと、心が寛くなります。
どんなことにも笑顔で接することができます。
知らない人とも挨拶を交わすことができます。
そして、怒ることもできます。
※歪んだ愛や曲がった愛は、見かけは愛でも実体がありません。ご注意を。
他者への愛も大切ですが、自分への愛はもっと大切。
自分に対して愛がなければ、生きてゆくこともできません。
苦しかったら逃げてもいい。
悲しかったら泣けばいい。
心の声に耳を傾けて、自分自身に愛を届ける。
愛を以て接すること。