出る杭は打たれる?


ひさしぶりのブログです。

 

昨年末から相談者が急増し、対応に追われていました。

私は臨床心理士でも公認心理師でもないですし、大きな事務所を構えているわけでもありません。

後ろ盾もなく、身ひとつで相談者様に対応させていただいております。

 

お待たせしてしまった方や、意図せずカウンセリングが中断、終了してしまった方には多大なるご迷惑をおかけしました。この場を借りて謝罪させていただきます、申し訳ございませんでした。

 

この【後ろ盾がない】というのは、あとから知ったことではありますが本当にキツく、それがために指導を受けられないこともしばしば。

ドラマ『白い巨塔』の学閥の世界が、そこに広がっていたのを知り、がっかりしたことが何度もありました。

 

ただ私はこの資格を取得する時に決意したように、一般的に社会的地位の低い職業に就いている方や専業主婦の方など、実際にその体験をしないとわからないし理解できない、それでいて相談できる人がいない。

というような方々に寄り添い、胸の内を聴き、今日この瞬間が少しでも楽になるように支援していきたいと考えております。

 

それがいわばアトリエ・IMAです。

 

ですので、いくら門外漢と揶揄されようとも、私が感じる違和感には真っ向から立ち向かっていきます。

そうすることでより深い傷を負った方々に正確な情報をお伝えすると共に、そんな人ばかりではないということを知っていただきたいのです。

 

なにやら私の文章から怒りが見えますね。

 

怒りは進化の過程では欠かせない感情だと、どこかに書いてありました。怒ることでその壁を壊し、新しい世界に飛び込む勇気を得て、密林を切り拓く。そこにあきらめの気持ちが少しでもあれば密林を支配する狂暴な生物に捕獲されてしまうことでしょう。

 

そして人類は、太古の昔から密林を切り拓き、自ら繁殖し、文化を形づくっていったのではないでしょうか。

先日、上野のトーハク(東京国立博物館)にて開催中の古代メキシコ展へ足を運びました。

 

自宅のある逗子から上野まではかなり距離があるのですが、それでも興味のあるものには時間がかかっても、どれだけお金がかかっても体験をしなければいけない、というのが私の信条です。

(私のクライエントさんたちは、私のこんな性格を存じてくれています)

 

このような大規模な展示はなかなかお目にかかれませんし、古代メキシコ文明がどのようなものを大切にしていたか、庶民の暮らしや暦との関わり合いなどを知る良い機会になりました。

総じて感じた事は、今も昔もやってることには何の変りもないし、国や地域が違っても人間という生き物は直感を大切にしながら生きていたんだな、ということです。

 

ソーシャルコンボイという用語があります。

自分と周囲を取りまく環境は、まずは夫婦、家族、親族など。

その円周が大きくなると地域、学校、職場など。

さらに大きくなると国や地域、そして世界、宇宙。

もちろん世界にまで目を向けることはありませんが、身近な人に目を向け、声をかけることくらいはできるのではないでしょうか。

 

インターネットやSNSが発展し、リアルとバーチャルの境界線が見えづらくなっています。出会いの機会が減り、マッチングアプリやオンラインゲームで恋愛対象を探すような時代。

相手のことを何も知らずに恋愛感情を抱いてしまい、価値観の相違から傷ついてしまう方をこの何年間かでたくさん見てきました。

 

この現象はもう既に、自傷行為なのではないかと、近ごろでは考えています。とある時期、24時間365日インターネットに向かうことができるオンラインゲームが発表されました。画期的な出来事に感じた反面、もう依存からは逃れられないのだな、と肩を落としました。

 

依存対象は酒やたばこ、ドラッグだけではなくインターネットそのものです。一人に一台スマホを持たされ、保険証と紐づけられ、ちょうど昨日ですがSuicaの不具合が生じ、1,000円だけはポケットに残しておかないと、と恐怖観念に駆られました。

しかも、現在は半導体の不足からカード式のSuicaを作成することはできないようで、二度びっくりでした。

 

もう、依然とは違うのです。

違い過ぎる現実なのです。

その一方で、学閥なのです。

 

第五勢力なんてうそぶきながらも、出る杭は打たれてしまうのです。

打たれないように生きるか、それとも打たれても立ち上がるか。

私は後者を選びます。

 

私のことを頼ってくださる方が一人でもいる限り。